家族の話
前回私の霊感に気づいた時のお話をいたしました
今回は私の家族にも霊感はあるのか?について
書いていこうと思います
まず小さな頃の私の家族は
ひい祖母・祖母・父・母・姉・私の6人家族でした
私が生まれる前にひい祖父も祖父も亡くなっていました
母方の祖母とひい祖母になります
そして家族のなかで主に小さな頃の
私の話し相手になってくれていた
祖母は戦争を経験していました
祖母は戦場で行方不明者を探すお手伝いをしていた人なんです
その行方不明者を探す方法は
【占術】になります
そうなんです
祖母も私と同じ占い師だったんです
そして私の父方の祖母は
【陰陽師】だったと聞いています
陰陽師なんて平安時代の話なのでは?
と思ったりしますが
祈祷や占術をおこなっていたそうで
お客様もいらっしゃっていたと父から聞いています
この事を踏まえてみると
私が幽霊話をした時祖母には
ハッキリと幽霊は視えていたのではないかな?と思うんです
ですが祖母は私の話を
否定するわけでもなく
肯定をするわけでもなく
ただそこにいるものの意味を教えてくれていました
昨日書いたお話の中の
換気口の下にいる幽霊について
家を守っているだけだと伝えてくれたように
祖母は私がこういった話をするたびに
「気にしないようにしなさい」
「気にかけてはいけないよ」
「そこにいるだけ」
「ほおっておきなさい」
こう伝えてくれていました
私は子供の頃はこの言葉を聞いて
「話をそらされている」
「そこにいるって信じてもらえていない」
こう思ってしまったんです
祖母の言葉の意味を知る
祖母からの言葉を小さな頃の私は
自分を信じてくれていないと思ってしまいました
だから余計に自分の事を病気だと思ったし
自分はおかしいんだ変な人なんだ
そう思って日々を過ごすようになっていったんです
それでも祖母が大好きだった私は
話を逸らされてるとわかっていても
自分の事をわかってもらいたくて
祖母に幽霊話をしていました
そして祖母は私が12歳の時に亡くなりました
今こうして大人になってから
祖母の言葉を思い出すと
全部優しい言葉だったんですよね
私を守るための言葉でもありました
小さな頃の私にあまりそういった
目に見えない存在と関わってほしくない
関わっても氣を取られてしまうだけ
だからなるべく
霊感だと思わないように
気づかないように
普通に過ごせるように
祖母は私を守ってくれていたのだと思います
祖母の霊感は?
祖母は私に幽霊が視えるとかそういった事は
教えてはくれませんでしたが
先ほども書いた通り
戦争で祖母は行方不明者を探していました
それも高確率で当てていて
遠方からも祖母に頼む人がくるほどだったと
母に聞いています
だから相当霊感はあったと思います
父の祖母については陰陽師なようですが
本当に?民間の陰陽師?
お寺さんとかじゃなく?
って子供ながらに思いました
祓う人だったようですが
自分の家族の話をあまり話したがらない父なので
父の祖母については詳しくは知らないんです
ただ父からは祖母直伝の
気になる場所に唱える言葉や手の形
そういったものを教えてもらいました
霊感を受け入れた日
こうやって書いてみると
霊感や占いなど祖母達がやってきているので
私にとって霊感は
身近なものでもありましたが
私は私のこの状態を受け入れる事ができませんでした
声が聞こえる
視える気配を感じる
予知夢のようなものもある
病院に行ってもこれらの症状は治りませんでした
気のせいですませれるものでもありませんでした
長い年月葛藤しましたが
ある日私は諦めたんです
治らないなら
ありのままの自分を受け入れよう
そうストンっと心が決まったのは
死のうと思ったからでした
一度くらいは死にたいと
そう思った人もいるのではないでしょうか
私も思春期真っ盛りでもあったのもあり
情緒不安定でした
パニック障害で外出もできていないし
声は聞こえるし
目に見えない者達の気配は酷いし
見たくないものまで知ってしまうし
寝た時に見る夢も怖かった
だから死に方なんてわからないけれど
死ぬ前の支度をして
「1ヶ月後に消えればいいじゃない」と
どこかで生きるのを諦めた時に
自分のありのままを受け入れれたんだと思います
そんな事も乗り越え
大人になれているし
生きててよかったと心から言えます
まだ外には一人で出れないですが
家で仕事ができるようになったのは
嬉しいなと思って生きています
霊感を受け入れた先に見えたもの
霊感を受け入れ死ぬ準備を始めた時
やっと私は外に出たんです
発作がおきようが
「発作で死ねばいいじゃない」くらいの
そんな気持ちで外に出ました
結果発作おき救急車で運ばれ
助かってしまう始末
こんな自暴自棄な人間を
お医者さんや看護師さんは必死に助けてくれます
人に迷惑かけない場所で死のう
そう思った時
この世でそんな場所ないんですよ
海だって探す人に迷惑かけます
車なんて運転手さんに非常に迷惑だし
事故現場見た人の一生のトラウマになる
家で逝っても家族がトラウマになる
だから死に場所がないのではないか?
そう思った時上からの声が盛大に笑ったんです
そうして私に投げかけられた言葉は
「生きる事も死ぬ事よ」でした
人は死ぬ
「人は死ぬ」これは必ずおこることです
だから
生きる事も死ぬこと
死ぬことは生きる事
死ぬために生きてるし
生きているから死ぬんだなと
上からの声が聞こえ
なぜか腑に落ち
声に盛大に笑われたため
私は思春期の衝動的感情が恥ずかしくもなりました
この時に私は声に問いかけると
答えてくれることを知ります
上の声と会話ができるんです
頭のおかしい私が
頭のおかしい私でもいいじゃないと認め諦め受け入れた日
私は声の存在も認めました
霊感に気づいたあとは?
霊感に気づいてそこから葛藤し
死を意識しやっと認め受け入れました
霊感を受け入れてしまうと
わりと息がしやすい生活を送れるようになりました
「だって聞こえるんだから仕方ないじゃない」
大人になったら声の存在も
誰かに話すこともなく
自分の心だけで抱えて
私は生き始めます
それはある意味
新しい私の人生の始まりでもありました
さてここまで読んでいただいた方は
最初に書いた私の祖母は
いったいどういう風に戦争で行方不明者を探していたのか
気になってる方もいらっしゃるかなと思ったので
次回は祖母の占いのお話を書こうと思います
本日も読んでくださりありがとうございます
前回のお話はこちら↓
最初から読みたい方はこちら↓
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