宝山寺から長弓寺へ
宝山寺を後にした私はもう夕方近くになるというのに
このままのいきおいで長弓寺へと向かう事に決めました
朝には東大寺に行こうとバスに乗っていたのに
人生何があるかわかりません
全然興味もなかった場所へと私は一生懸命向かっているのです
手には充電ぎりぎりの携帯を持ち
御朱印の屏風を持ちながら駅で飲み物を買いつつ学研北生駒駅へと向かいます
そこから道のりが長かった
こちらの右下の長弓寺へは北側にある学研北生駒駅からはずいぶん遠い
けれどもう後戻りはできない
せっかくここまで来たのだからと私は残り少ない充電に怯えながら携帯で地図を見ながら進みます
けれどどうでしょう
地図通りに進んでいるもののどんどん住宅街に入っていくじゃないですか
これは道を私間違えた?
タクシーを頼もうとしたのですが住宅街に入ってしまったので
タクシーも見当たりません
足も疲れているし
飲み物を飲んだのにすっかり喉も乾いているし
夕日まで登ってきてしまった
私は一気に不安が押し寄せてしまい住宅地の途中でとうとう立ち止まってしまいました
葛藤
もともと私は御朱印を巡ろうとは思っていなかったので
なんの準備もしていない
今日は新薬師寺に西大寺に宝山寺までまわったんだから
一度ホテルに戻ろう
そう思ってもいいはずなのに
私はお寺さんに行くのをやめたくなかった
駅に引き返すなら今のうちだよとは
正直ちょっと思った
けれど私の足は長弓寺のほうへと向かっていった
長弓寺へ
歩くこと数十分
私は長弓寺へとたどり着いた
やっとたどり着いたけれど
夕日が沈み始めている時間だったから
御朱印を押してもらえる場所が閉まっていた
私はさすがにその場にへたり込んでしまった
けれど「明日また来よう」
無理して来たからダメだったんだと
そう思い直して長弓寺さんへ感謝のお参りをしました
でも場所がわかったのだから明日は迷わずに来れそうだなと
ちょっと安心感も芽生えていた
さて帰ろう
そう思ったのに長弓寺にいた見知らぬお姉さんが私に声をかけてきた
見知らぬお姉さんとの出会い
「御朱印まわってるの?どうしたの?」
そう声をかけてくれたお姉さん
手には御朱印の屏風を持っていたから見知らぬ人にも目的がわかったのだろう
私は素直に「はい、御朱印もらいにきたんですがもう押している場所が閉まっていたんです」と
ちょっとだけ笑いながら答えた
するとお姉さんが言います
「長弓寺に電話かけてみなよ、今この場所にいるんだし」
と提案してくれます
私はその言葉を聞いてそれもそうだなと思い
一か八かでお寺さんに電話をかけてみました
長弓寺の電話番号は御朱印屏風に記されていたので調べなくても大丈夫でした
電話にでてくれた声は女性の方でした
私は「今こちらのお寺さんにいまして、閉まっているのですが御朱印はもうだめでしょうか?」と
ずうずうしいお願いをしてしまいます
すると「いいですよ、きてください」と優しい声でおっしゃってくださいました
時間外労働です、大変申し訳ありません
そう思いながらも私は嬉しくて仕方がありません
電話を切った後、目の前で待っていたお姉さんが満面の笑顔でした
「よかったね!」とまるで自分の事のように飛び跳ねて喜んでくれたんです
そしてお姉さんは
「学研生駒駅行くのかな?私も参拝してくるから駅まで一緒に帰ろう、あとで待ち合わせしよう」
とおっしゃってくださいました
私は「一緒に行きます!」と元気に答え待ち合わせの約束をして御朱印をもらいに走りました
4つ目の御朱印
新薬師寺、西大寺、宝山寺、長弓寺
私は4つの御朱印を集め終わりました
最初は全部御朱印が押してある状態のレプリカがもらえると思っていた
だから新薬師寺の御朱印しか押していなくて
実は自分でまわるのはちょっとめんどくさいなと思ってもいた
けれど自分で集めた4つの御朱印は
どれも思い出があり、景色も思い浮かぶ
そこのお寺さんの仏さまのお顔を拝見し感謝を伝えれる
かけがえのない旅になるんだなって思いました
御朱印を貰う事だけが目的ではなくて
その場で出会った人たちとの交流も忘れられない宝物です
私は御朱印巡りの旅をはじめてよかったなって思いました
そんな風に思いながらお姉さんとの待ち合わせ場所へと向かいます
長弓寺の本堂は国宝
お姉さんと待ち合わせ場所で会い
「長弓寺の本堂は鎌倉時代に建立されたんだよ」とか
「ここ来月くらいには紫陽花が綺麗なんだ」とかお姉さんは楽しそうに教えてくれます
色々なお話をしながら駅へと向かいました
お姉さんと駅に向かいながら
私は長弓寺へ向かう時遠回りしてしまったんだなと気づきました
だからあっけなく駅までついてしまい
最初に住宅街で迷ったのはなんだったのだろうと
ちょっと思ったりもしましたが
私の参拝の時間が少しでもずれていたら
このお姉さんとは出会えなかったでしょう
そう考えると迷って良かったなと思いました
駅にたどり着く時には
お姉さんの言葉巧みな話術によって
私は色々お話をしてしまっていました
一人旅でここに来た事
堂本剛さんへの感謝の旅でもあったこと
それがいつのまにか御朱印巡りになったこと
お姉さんは会話が凄くうまいのだと思う
初対面でここまで話すのは正直距離感がダメだし困らせただろし迷惑だったでしょう
けれどお姉さんはうんうんと嫌な顔せず聞いてくれます
もうあたりは暗くなっていて駅にもついたにも関わらず
私はお姉さんと駅のベンチに座ってお話を続けていました
お姉さんはただただうんうんと聞いてくださっているだけだけど
きっとお姉さんが見知らぬ人だったからでしょう
「私」というものを知らない人だったからでしょう
色んなお話をしました
お姉さんは本当に優しい方で
私に切符まで買ってくれたんです
そして学研北生駒駅でお姉さんとお別れしたんですが
改めて思うとお姉さん切符も買っていなかったし
長弓寺にはしょっちゅう言ってるような感じでしたし
もしかしたら観光客である私が無事に駅まで帰れるか心配で
一緒に行こうと言ってくださったのかもしれないなと思いました
ホテルへと帰る
お姉さんと別れホテルへと戻り
ホテル内の温泉へと向かいます
温泉に入りながらもう私は一人反省会です
「初対面の方に話しすぎたかもしれない」とか
「距離感がなさすぎる」と反省しては苦しみ悶えていました
一人反省会です
すっごい恥ずかしい時間です
けれど今日は様々な出会いがありました
バスで出会ったおばさんも
お土産屋さんのおじさんも
長弓寺のおねえさんも
新薬師寺や西大寺や宝山寺や長弓寺のおぼうさんに
はじめましての方とたくさんお話して
そしてきっともう二度と会う事はありません
私はパニック障害になり上からの声も聞こえ感じ視えてしまいます
だから私の人生なんなんだろうといつもどこかで思っていました
元気よく外で遊べるわけでもない
今は一人旅をしているが発作を抑えるために薬は飲んでいる
薬を手放せる時がくるのだろうか
どうして健康ではないのだろうか
発作の不安と一生付き合っていかなきゃいけないのだろうか
また症状が酷くなれば家の中から出れなくなるのだろう
私の一生に見る景色は家の中の景色が多いのだろう
そんな人生に意味があるのか
視える聞こえるも結局病気ではないのか
そんな風にいつもどっかで思っていて
人生を諦めてもいました
何かをやりたいと思っても
病気のためやれないことも多い
病気を比較してはいけないものではあるが
私の病気は入院するだとかそこまでではない
発作がおきない時はこうやって出歩けるのに
出歩いている時でさえ常に発作がおきませんようにと不安がずっと頭の奥にある
私の人生なんなんだろう
生きている意味があるのか
そんな風に思っていました
けれど温泉から部屋に戻って4つの御朱印を見た時に
たくさんの思い出が頭の中を駆け巡ります
そして心からの幸せと嬉しさを感じるんです
生きていて良かった
御朱印巡りを始めて良かった
と思えたのでした
今日は長弓寺での出会いの話でした
長弓寺、すごく優しい場所でした
明日はちょこっとだけ寄り道をしたお話です
本日も読んでくださりありがとうございました
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